Leo's Memo

18. ネット名無しさん 2010年08月09日 00:52 ID: HwHXuyaD0
 以下、40台親父が書く伝聞の伝聞だ。

 祖父は満州で戦死した。8月11日だったらしい。
その知らせはすぐに伝わることはなく、
祖母は8月15日、ああ、これで戦争が終わった、
旦那も帰ってくると思っていたそうだ。

が、戦死の知らせを受けて、
8月15日にはとっくに死んでいたことを知り、
「あと4日… なんて無駄な死に方をすることになったのか」と、
思わずにはいられなかったそうだ。

しかし、何年もたって、
戦いと極寒を何とか生き残った祖父の戦友がシベリアから帰って来て、
祖父の最期の戦いに関する話をしてくれたそうだ。

8月9日、ソ連軍が条約を破って攻め込んできた。
祖父とその戦友のいる部隊は急に防衛線につくことになり、
重たい、対戦車肉迫攻撃用の爆薬等を背負って
徒歩で移動することになったそうだ。

で、その途中、逃げてくる多くの日本人とすれちがったそうだ。
部隊の休憩時間中には、
「攻めてきたソ連軍は、民間人相手に相当ひどいことをしている」
という「ウワサ」もしばしば耳にしたそうだ。

(その部隊の指揮官は、
「前の戦争ではロスケは軍紀厳正だったときいた…」
と衝撃をうけていたそうだ。)

 まもなく、命ぜられた地点、というところで、
また日本人とすれちがった。
ところが、その南へと逃げる列には大勢の子供がいたそうだ。
(だから遅くなったのかもしれない。)

Posted by: MUTI | 2010.09.05 at 01:57

19. 18 2010年08月09日 00:53 ID: HwHXuyaD0
で、防御地点について、さあ準備、というところで、
部隊の指揮官が祖父等の兵に言ったそうだ。

「お前ら、みんな死ね。
さっきの子供たちを見たな。
お前らがちゃんと戦って死んだら、
さっきの子供たちは、その分長生きできる。
そのために俺は死ぬから、お前らも死ね」

 そして、戦闘になり、多くの兵が、
せめてソ連軍の戦車を道連れにして死のうとがんばった。
が、結果的にその防御線は突破された。

俺の祖父がどういう状態で戦死したのかはわからない。
この部隊で生き残ったものはごく少数、
この話をしてくれた祖父の戦友は、ソ連軍の砲弾に吹き飛ばされ、
気絶した後で捕虜になったそうだ。

「私は、ご主人のように立派に戦死することができませんでした。
おめおめと生き残ってしまい、申し訳ありません」

その祖父の戦友は、最後にこう言って、
祖母の前で深々と頭を下げたそうだ。

Posted by: MUTI | 2010.09.05 at 01:58